寺院紹介
住職:上川 普経
第三世 普経院日圓
普経院日圓の由来は、妙傳寺開基 勝圓院日潤(祖父)が自身の父であられた普明院日法上人の普と御経の経の一字をいただき命名された。日圓という名前は日蓮大聖人様の日の一字と妙傳寺 開基勝圓院日潤上人の圓と開基坊守 知圓院日林上人の圓、すなわち御開山歴代の志を受け継ぎたいとの思いから圓という一字をいただいた。
経歴
東京 立正大学仏教学部宗学科卒業
東京 立正大学在籍中 日蓮宗大本山 池上本門寺随身修行
京都 法華宗真門流にて初転法輪
東京 九識霊断法相伝
岡山 最上稲荷大荒行堂成満
千葉 遠壽院大荒行堂成満
浦幌 妙傳寺第三世住職
訓子府 妙徳寺第六世住職
京都 法華宗真門流 布教師
東京 九識霊断北海道 道北道東支部長
京都 法華宗真門流第四教区 支学林学監
京都 法華宗真門流第四教区 特派布教師
開山 勝圓院日潤上人
札幌の石山にある寺院にて勝本院日泉上人に弟子入りし、勝本院日泉上人の「勝」、三田村圓通上人の「圓」の一字ずついただき「勝圓」と改名。道北地方の開経を志していく。
法谷日泰 猊下
|
法華宗 総本山 本隆寺 管長 第六十七世 法谷 日泰 猊下 |
---|
普明院日法 上人
|
普明院日法 上人 |
---|
知圓院日林 上人
|
開山 坊守 知圓院日林 上人 |
---|
勝清院日晨 上人
|
第二世 勝清院日晨 上人 |
---|
東栄山 妙傳寺の沿革
山号 東栄山の由来は、お釈迦様の御言葉に「仏教は世界の一番東の小島国にて盛んになる」とあり、日本の東のこの地に法華経の教えを永遠に伝えると誓願し、妙傳寺御開山。勝圓院日潤上人により、昭和三十三年十一月に寺号公称し「東栄山 妙傳寺」を建立した。
また、昭和三十年代以降、浦幌町で交通事故が多発し、当時の警察署長より、浦幌町内の交通事故を少しでも減少して頂きたいと、交通安全祈願の依頼を受けた。その後、安全運転の祈願(車両祈願など)を行う祈祷寺としても知られるようになった。
大正十一年 十一月三日
師父 普明院日法上人にて「夕張 法栄教会」を設立
大正十二年
上砂川にて「上砂川 説教所」を設立
大正十三年 九月七日
上砂川 説教所を寺号公称し「日泉寺」とする
昭和五年 十月十八日
上砂川 日泉寺を弟子 遵良院日正上人に継承する
昭和七年 六月
本山より小樽布教を命ぜられる
昭和十年
夕張 法栄教会を札幌 日泰寺 勝本院日泉上人と勝圓院日潤上人の教化により法華宗真門流に改宗する
昭和十二年
小樽の地に「若竹教会所」を設立する
昭和十四年
小樽 若竹教会所を寺号公称し「妙法華寺」とする
小樽 妙法華寺を弟子 勝顕院日理上人に継承する
昭和二十五年 四月
稚内 妙照寺 専任布教師でもあった知圓院日林上人(浦幌 妙傳寺開基坊守)と道東の北見、釧路、根室、十勝方面各地に布教する
同年 九月
置戸町の太田好昭上人が弟子となり、昭和二十六年に訓子府町末広に「妙徳教会」を設立
同年 十月
上士幌 妙正教会の鈴木妙覚上人が弟子となり、寺号公称し「妙正寺」とする
昭和二十六年 十一月
浦幌を拠点に布教活動
昭和二十七年 三月
十勝沖大地震に遭遇。鉄道など交通路不通の為、釧路方面の布教を断念
昭和三十一年 八月
現在地に寺院を建立
昭和三十三年 八月十一日
寺号公称し「東栄山 妙傳寺」とする
昭和四十一年十一月十三日
昭和四十六年
訓子府町東町に妙徳教会を新築移転し、寺号公称し「妙徳寺」とする
昭和四十九年 七月
昭和五十五年 三月
妙傳寺境内地を拡張
昭和五十七年 十二月
平成二年 八月
妙傳寺納骨壇・仏具など導入
平成三年 六月二十五日
妙傳寺開基 勝圓院日潤上人遷化
平成七年 七月
妙傳寺本堂・仏具を大改修
平成九年 八月十二日
妙傳寺開基坊守 知圓院日林上人遷化
平成十五年 八月
妙傳寺駐車場を拡張
平成十八年 九月
本堂・会館・庫裏を大改修
平成十九年 四月
訓子府 妙徳寺第四世 信行院日延上人遷化に伴い、妙傳寺第二世 勝清院日晨上人が代務する
平成二十年 九月八日
妙傳寺第二世坊守 厚徳院宝珠経行妙和大姉が逝去
平成二十二年 六月二日
妙傳寺第二世 勝清院日晨上人遷化
同年 六月二十五日
妙傳寺副住職 普経院日圓上人が妙傳寺第三世を継承し、訓子府 妙徳寺も代務
平成二十三年
妙傳寺本堂・会館・庫裏・駐車場大改修
平成二十四年
訓子府 妙徳寺本堂・納骨堂建て替え
平成二十八年
妙傳寺駐車場を拡張